聖の青春

少し前、同僚に「聖の青春」を貸す。

偉そうな言い方になってしまうが、彼が今読むのにふさわしい本だと思い、実家に立ち寄った際に持ち帰っていた。

 

29歳という若さで亡くなった棋士村山聖の一生を書いたノンフィクション。文字通り命がけで名人を目指した、その純粋な生き方。

 

一週間ほどして本を返してもらった際、彼は真面目な顔で「この本を本当の意味で理解するってことは、行動する、ということですよね。」といったようなことを言っていた(かなりかいつまんではいるが)。また、改めて自分でこの本を購入するとも。その言葉を聞いてとてもうれしかった。

 

何年かぶりに自分でも読んでみる。いつのまにか村山聖の年齢を追い越している。

生きるという事の意味。同僚も言っていた、「行動する」という事。前回読んだ時よりも、敏感に反応する。叱責されているかのような言葉や行動。言い訳にできることには一切見向きもしないその姿勢。

 

一口に本を読むと言っても、人それぞれによって様々な捉え方、意味がある。何かを得ようという目的の人もいる、意味もなく読む人もいる。時間を潰したいだけの人もいる、読みたくもないのに読んでいる人もいる。本当に様々。これは言い方を変えれば読書だけではなく、様々な事柄、表現などに当てはまること。それについてはなんだっていいし、どうだっていいと思う。

 

ただ思うのは、今回の様な表現への触れ方はとても大切だという事。常に現状に疑問を抱いているからこそ、何かを変えようとしているからこそ、得られる感覚。息切れしそうなときに、自らを奮い立たせるカンフル剤になるような。